この文章は、自身の言葉や思考のツールとしての”アナログ”と”デジタル”をどう使い分けるかに頭を悩ます人間の、自由研究のまえがきである。

五年くらい前まで、私は物凄い勢いで紙に文章を書きつける人間だった。
今は違う。利便性での慣れか、ほぼ全ての事柄についてデジタルでメモをするようになったし、そもそも日常的に文章を書いたり、頭の中にある言葉や概念をアウトプットして整理する機会はぐっと減ってしまった。

今になって、当時の自分が書いていたノートやら日記やらを読み返してみると、過去の自分に嫉妬心が湧いてくる。
苦悶しながらも、実にじっくりと物事を捉え、疑問を起こし、考えているのだ。

私は今、2021年に生きる身として、デジタルとアナログの使い分けについて真剣に考えを巡らせている。
キーボードと万年筆、画面と紙を往復しながらさまざま手を動かしてみると、これはもう論拠もない肌感覚でしかないが、「デジタル化」を全て善、「旧時代の産物・アナログ」は悪、と捉えるのは、どうにも違うのではないかと思うのだ。(この対立構造でアナログツールを排除し、デジタルツールのみを用いる人が周りに少なくない。そして私も、そうなりつつあった)

キーボードと画面を用いた際に出力される言葉と、紙とペンを用いた際に出力される言葉には、その「広がり方」というきわめて重要な点でも、「記録のなされ方」「追記のされ方」「取り出し方」「保存・分類のされ方」というようないくつかの点でも、異なる性質を持っている。(これは自分でも手を動かしてまとめあげなければならない)

同じ出発点で何かを考え始めても、紙-ペンで広げるのと、メモアプリ-キーボードで広げるのでは、まったく異なる結論に行き着く可能性があると感じている。

もちろんこの話は思考や記録の”ツール”の話であって”目的”の話ではない。だからこのことばかりを考え、肝心の中身をすっぽかしていてはラチが明かない。
ただし同じ卵を調理するにもフライパンを使うか電子レンジを使うかで完成される料理が違うように、使う道具によって材料が大きな制約を受けるということもまた一つの事実である。

とにかくもう一度、今自分が勉強している内容や考えている事柄をどう記録・整理したらもっと世界が面白くなるのか、ということを自由研究しようと決意したのだ。

デジタルを使わずしてアナログに固執するのも情緒的であるに過ぎず、アナログを軽視してデジタルのみに走るのも妄信的である。そう思うからこそ、真剣にアナログvsデジタルの比較検討をして自分なりの落としどころを探っていきたい。
Z世代である我々は、教育においてデジタルツールもアナログツールもどちらも用いており、ちょうどその転換期を目の当たりにしている世代である。

どちらも使っている上で、デジタルに強いといわれる我々世代がこの件について考えてみることは、きっと世の中の誰かの役に立つことだろう。

こんな状況でリモートワークも進み、デジタルの利点も弱点もさまざまな場所で活発に語られているし、情報収集はたやすいはずだ。

さて、どうなることやら。

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