十二月がくる、ということは、今年はもう残りひと月ということです。
この年にあったさまざまなことを振り返り、次の年をよりよい自分として生きるための準備をととのえる大切な期間でもあります。

少し前、故人で大読書家の本棚から好きな本をいただく機会がありました。
私は文庫本を二冊ほど持ち帰り、自宅でゆっくり読むことにしました。

すると、片一方の本からこんな紙がはらりと落ちてきたのです。

師走だから温泉で読書でもしろ、なんていう非常識な会社はないものだろうか。

このコピーを見るや否や、私は胸が射抜かれるような思いでした。

自分の忙しさを自慢話のようにするのは、品のないことだと思う。年の暮れに、師が走ったりするのは良いことだとは思えない。忘年だ打ちあげだといっては、飲んだくれる毎日というのも尋常ではない気もする。理想的には、年のおわりというのは、温泉でカラダを温め良書でココロを温め鋭気を養うべきではないかと考える。しかし、そういうことを言うと世間から浮きあがってしまう。今は、とりあえず、新潮文庫を何冊か、自分に買ってやり、ゆっくり風呂につかるくらいで我慢をしていたほうが角が立たない。最善の妥協であろう。

これは調べてみると、1986年に糸井重里さんが書かれた新潮文庫のコピーだそうです。

「読書」というものがまずもって面倒だと敬遠されるこの時代、私は温泉で読書をするのが大好きな一人であります。
もちろん普段の入浴でも本を持ち込んでだらだらするような体たらくですから、この広告には共感の念しか示せないのです。

特に、

自分の忙しさを自慢話のようにするのは、品のないことだと思う。年の暮れに、師が走ったりするのは良いことだとは思えない。忘年だ打ちあげだといっては、飲んだくれる毎日というのも尋常ではない気もする。理想的には、年のおわりというのは、温泉でカラダを温め良書でココロを温め鋭気を養うべきではないかと考える。

の部分。

このような、不器用でもまっすぐとした意志を大切に持っておきたいと思います。
自分は自分、他人は他人。
常日頃助け合う関係でも、読書をしたい自分を捨ててまで他人と関わる必要はないと考えます。

私の十二月は、さらにたくさんの言葉や、新しい感性に触れる月にします。
読書をはじめ、映画や音楽、ファッションや旅行も真剣に楽しむのです。

そして感性をできるぶんだけ磨ききり、よい元旦を迎えるのに備えます。
それでは今月も、はりきっていきましょう。

二〇十七年十二月一日

Author

Write A Comment

Pin It