私はよく思いつきで町の珈琲屋へ入ります。きっかけは大体、美味しい珈琲を飲みたいときと、ひとところにじっとしていたくなったとき。

そんな思いがけなく出会った珈琲屋さんで、肝心のコーヒーが好みの味だと頬がゆるんでしまうのは勿論のこと。さらに私を高揚させるのは、コーヒーを包むカップ&ソーサーに店の品格を感じたときであります。

私は19のほんの短い間、かなり色の濃い喫茶店で働きました。(そのお店はほぼケンカ別れのように辞めてしまったのですが)思い返すとそのお店で学んだことは多かった。

特に器に関しては、たとえば一目で「あ、このカップはロイヤルコペンハーゲンのものだ」などと判別するようになりました。

美味しいコーヒーは舌の上で転がすように味わうことも、店員としても客としてもお店のカップは繊細に扱うべきだということも、そのお店で教わったからこそ私の趣味である珈琲屋探訪はさらに味わい深さを増したのです。

さてさて、閑話休題。

美しい装飾が施されたカップ&ソーサーは、おいしいコーヒーにこそふさわしい。これは、器とはコーヒーのドレスであるのだ、と言い換えることもできるでしょう。

いくら豪華に飾り立てても中身がからっぽではどうしようもないという点では、コーヒーと器の関係にも、ある種の人間性を感じ得ないのです。

高級な器はややもするとお客さまが破損してしまう可能性だってあります。それでも温まった綺麗なカップにコーヒーを注いで提供し続けるお店には、うちの自慢のコーヒーを最大におめかしした状態で飲んでもらいたい、という強い意志と覚悟すら見えてきます。

それこそが冒頭でも述べた「お店の品格」であると、私はいつも思います。

次は一体どんなコーディネートを見られるかしら、と楽しみにしながら、私はまた新しい珈琲屋の扉を開くのでした。

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