憧れの人間がいたとして、そのすべてを真似してみたところで、私は私であり、憧れの人は憧れの人なのである。

新しく香水がほしくて色々調べていたら、私の敬愛する女優(故人)が生前に愛用していたとされる香水を見つけた。
「憧れの人が好きだった香りだなんて、素敵であるに違いない」という思いに駆られ、早速試しにいった。

店員さんが腕にひと吹きしてくれたその香りは、かぐわしいという言葉がぴったりくるほどいい香り。気品とチャーミングさとをどちらも兼ね備えていて、大女優がリラックスしながら香水を纏う姿が容易に想像できた。

しかし自分がこの香りをつけている姿を想像できない。憧れの彼女がつけたら「美しい人」の印象が強まるだろうが、私がつけたらどこかお転婆娘っぽくなってしまうようだ。何度鼻を近づけてもいい香りなのに、購入しようとは思えなかった。

「憧れの人が使っている」その衝動だけで買ったらきっと後悔したであろうから、気に入らなかったことは残念だけど、ほっとした。

もう一度、完全に自分の考えで選んだいつもの香水を香ったとき、「ああ、これだ。これで良かったんだ」と感動的なワクワク感が私の心に訪れた。

憧れの人がひょっこり現れると、どうしても盲目的になってしまうけど、ほんとうに大切なことを忘れてはいけない。

どんなチョイスが自分を満たすのか、何が一番大切なのか、を知っているのは、他でもない私なのだ。

憧れの人、はどこまでいっても”憧れの人”、というラベルのついただけの他人なのである。

ものごとを決断する基準——たとえそれが香水を買うことのように些細な決断であっても——は他人に手綱を握らせるものではない。自分が自分の基準を持ち、主体的に人生を生きることこそが、日々を充実させ楽しむコツなのだと、私はこの小さな経験から判断した。

憧れの人だけでなく、周囲に生きる人もまた、私とは全然別の人なのである。
自信がないときや不安なときは「できればみんなと同じでいたい」という気持ちが強まるが、所詮“みんなと同じでいる“ことなんて、ハナから不可能なのだ。
だから自分に言い聞かせたい。自信のないときこそ「自分にとってのベストな選択、楽しい選択」を考えるのだよ、と。

いつも隣にいるあの人も、親友と呼び合うその人も、同じに見えて、ぜんぜん違う。
違いを尊び、自分を楽しみ、皆がそれぞれの選択を認め合えるような、そんな人生を歩んでいきたい。

Author

Write A Comment

Pin It