人と会って話をするのは楽しい。自分の視点では絶対に気付かれなかった何かを得ることができる。
しかし毎日誰かと深い対話をできるとは限らない。そんな時に、私は本と対話する。

松浦弥太郎さんの著書は、そんな本との「対話時間」において、きわめて威力を発揮する。

きっと松浦さんも読者に語りかけるような書き方を意識しているのだろう。文字の世界を通り越し、まるで会って話しているような気分になるのだ。

今日のブックマークは松浦弥太郎さんの『正直』(河出文庫)から。


松浦さんと『正直』の関係

さて、まずは松浦さんと本書について語ろう。

「ていねいな暮らし」という言葉を聞いたことはあるだろうか。

−−目を覚ますと、朝の太陽光と揺れる白い刺繍のレースカーテンが見える。私は毎朝の日課、コーヒーのドリップのためにお湯を沸かす。同時に朝食の準備も忘れない。有機小麦のバゲットをオーブンに入れ、専門店で求めたレモンのコンフィチュールと、手作りのハーブバターを小さな器に盛る。……(つづく)

そんなイメージの「ていねいな暮らし」というワードだが、私はそういった情景ではなくまず、松浦弥太郎さんのエッセイを思い浮かべる。

今や#ていねいな暮らしというタグが一人歩きしている感じはあるが、『今日もていねいに』という松浦さんの著作は、それ以前からていねいな暮らしを営む人々のバイブル的存在だ。

『暮しの手帖』の編集長を9年間務めただけあって、美意識と知恵のつまった素敵なライフスタイルの提唱者として、松浦さんの右に出る者はいないといっても過言ではないだろう。

そういったイメージからすると、この『正直』は大幅に気色が違う。

松浦さんが新たなステップへ踏み出す決意の書

まず文章が「である体」で書かれていることに驚く。松浦さんの多くの著書は「ですます体」で、ゆったりとした余白を感じさせる文体で綴られている。

しかし本書はどこかひっ迫した調子の、「伝えたい人にだけ、本当に伝えたいことを書いた」という雰囲気。表紙には、控えめな松浦さんにしては珍しく、顔のイラストが大きく描き出されている。

雰囲気が違うのには理由がある。
松浦さんは本書を執筆する頃、暮しの手帖の編集長を辞めるという決断のさなかにあったようだ。それを知るとこの本に、“決意を新たにする書”のような印象を抱く。

これまでのベストセラー、『考え方のコツ』や『しごとのきほん くらしのきほん 100』で見せるような柔らかさとは違った鋭さをもって、49年間の人生や仕事を振り返る。


「ものを売るより」

今の私に最もぐっときた文章は、「ものを売るより自分を売る」という章だ。
営業マンの極意としてよく使われる言葉だが、薄っぺらい売り込み術とは違う、と松浦さんは言う。

松浦さんには、アメリカへ渡って買い付けてきた貴重な本を、あらゆるクリエイターに売っていた時期があったという。しかしさっぱり売れない期間が続き、ある恩師の経営者に「まずは品物じゃなくて自分を売らなきゃ」とアドバイスをもらう。そうして次からは挨拶や礼儀も意識した上で、自分のことを熱く語ってみることにした。

するとこちらから言うまでもなく、「本を買わせてよ」と言ってもらえるようになり、さらにその縁がまた別の縁を連れてきたという。

この「まずは自分を売る」という考えは、もしかしたらヘタな営業向けのビジネス書でも知れるような、ありふれたことなのかもしれないが、私はなにより松浦さんの『正直』というエッセイで出会えてよかった。

それは机上の空論なんかではなく、生身の経験に根ざしているのだということを、熱いまなざしで、松浦さんの思いの丈を込めて語りかけてくれるからだ。
たとえ顔が見えなくとも、私は本書を読み終えると、熱い対話から帰ってきたような心持ちになった。

この章の他にも、胸に響いた章のタイトルを並べてみる。

自分の友だちは自分 / 正直親切笑顔 / スイートスポットを見つけること / すこやかなる野心を抱く / 大人の嗜みを忘れない / 自分に関係ないことはひとつもない / 時には渦から出てみる / 素敵な喧嘩を心得る etc.

すべての章が、松浦さんの人生における生の体験から導かれたエピソードだ。

気になった方はぜひ本書を手にとって、松浦さんとの対話を楽しんでみてほしい。

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『正直』
松浦弥太郎 / 河出文庫
¥626

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