「まだ19歳で、なんでそんなに色んなおいしいものを食べてるの」と、同世代の子と話していると言われる。

親が裕福で美食家だったから19年間おいしいものを食べさせてもらってね、なんてことでは、まるでない。むしろ家は貧しく、外食は稀なことだった。ただ、母が家で作る料理はもちろんおいしい。

なんでだろうと聞かれたとき思いつく限りの答えは、
おいしいものが好き」。

ただそれに尽きるのだと思う。

周りの子がファッションやコスメにかけるお金を、主に食べることへと費やしてきたのだ。

それは確かなことだ。周りの友人がブランド物のリップを嬉しそうに見せ合う中で私は、デパートコスメなんて一つも持っていないし、私の化粧には型ができてしまっていて、これ以上の発展がない。
けれど食の話になるとそれ食べたことあるよ、どこどこで食べたのが美味しかった、なんて文句が無自覚にすらすら出てくる。

もう一つの理由として、今まで仲良くお付き合いしてきた人々も、みんな揃って食べることが趣味だった。
だから余計に食べることが好きになった。好きな人たちが好きなこと、それを私も好きになった。

今やどんな店へも一人で行ける。
少し背伸びして贅沢なお店へ入ることも時々ある。けどそういったお店は仲のいい誰かと楽しくおしゃべりしながら食べるほうが、より美味しいのだよね。

だからここ最近ずっとほしいと思っているのは、”美味しいものを食べること”への探究心が人並みはずれた同世代の友人。
別にその友人は一人でもいいし、何人かでグループを組んでもいい。

ついでにお洒落も大好きで、背伸びしたお店へ行くときはみんなで最大限めかしこんでいくような関係。それで他愛もない会話をしつつ、ただ美味しいものをいただく。
もうすぐ二十歳になる。私はお酒は嗜む程度にしか飲まないつもりだけど、それでもお酒の楽しみもほんのりと分かち合えたらいいな。

考えてみると最高の友人ではないか!
(我こそは!という方、ぜひお声がけくださいませ。)

話は変わり、最近ショッキングだった出来事は、私の溺愛する「さわやかのげんこつハンバーグ」を貶されたことだ。

「さわやか」というファミリーレストランをご存知だろうか。実はこの店は静岡県内にしか存在しない。しかし静岡県下には31店舗も存在する。
そこの”げんこつハンバーグ”は至極の名品だ。250gの新鮮な国産牛をぎゅぎゅっとげんこつのように、つなぎは一切なしで強くやさしく丸め、中を赤身の状態に焼き上げてくれる。店員さんが目の前で丸い肉塊を半分に分けてくれる。ソースは迷わずオニオンソースで。

ハンバーグにナイフを入れてみるとよくわかるが、本当にさわやかのハンバーグは中身がレアなのである。

外側はほどよくジューシーな食感に焼き上げられ、中の赤身はとろりと口の中で柔らかくほどけてゆく。そして”子ども舌と大人舌の中間にある絶妙な部分”をくすぐるような特製のオニオンソースが、私の舌にとどめを刺す。
「さわやかのげんこつハンバーグ」は、存在するというだけで私を幸せな気分にさせるのだからどうしようもなく小悪魔だ。

そんなさわやかのハンバーグを周囲にこれでもかというほど勧めていたが、ある日友人に、
「さわやか不味かった。普通のハンバーグじゃん、って思った」と言われ、私ははらわたが煮えくりかえるほどの憤りを覚えた。

どこのさわやかも混みすぎていて、何店舗もまわった末に食べた後の感想だったようなので、そこでまず減点されたのではないだろうか。必死に反論を考える。

でも、反論を考える前にわかったことがある。

食の好みは、人それぞれなのだ。

私がおいしくても、それは誰かにとっておいしくないかもしれない。
日本人が海鮮を主としたナマモノを愛することが、多くの外国人にとって普通ではないように。

だからせめてもの願いとして、より多くの時間を一緒に過ごす人は、似た味覚を持っていてほしいなと思う。
お互いに美味しいと感じるものを一緒にゆっくり舌の上にのせ味わいながら、人生の妙なんかを楽しく語り合う。きっとその瞬間にはなんの翳りもなく、私も相手も幸せな気持ちになれるだろう。

 
そのために、さわやかのハンバーグを愛していることは必須条件だ。

最後に、私の人生の中でもっとも幸福度が高かった食事を三つあげよう。

一、浅草の「釜めし むつみ」の釜めしとあら汁
一、小田原「友栄」の上うな重
一、「炭焼きハンバーグ さわやか」の げんこつハンバーグをオニオンソースで

趣味が合いそうな人、ぜひごはんを食べにいきましょう。

この記事は、かつて私が運営していたTHINKING REEDというブログからmelassic.comへ移行した記事です。

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