『論語』なんて聞くと、とっても堅苦しいものだと感じるだろうか。

私はそうは思わない。

電車で流れていたCMで見た「名言っていうのはみんなの当たり前を見つけることだろ?」というセリフ。その通りだよなあなんて。

論語にも「究極の当たり前」がたっぷり詰まってて、とっつきにくいことは何もない。
しかしいくら当たり前でもその”究極”までたどり着くまでに、数多の経験と深い思慮が必要なのだ。だから論語はすごいのだ。


TODAY’S BOOKMARK

今日は論語から私の好きな節をPICK UPしてご紹介。

太宰、子貢に問いて曰わく、夫子は聖者か。何ぞ其れ多能なる。子貢が曰わく、固より天縦の将聖にして、 又た多能なり。子これを聞きて曰わく、太宰、我を知れる者か。吾少(わかく)して賎(いや)し。故に鄙事(ひじ)に多能なり。君子、多ならんや。多ならざるなり。

「孔子の論語 子罕第九の六 吾少して賎し、故に鄙事に多能なり」
https://blog.mage8.com/rongo-09-06

ある人が、孔子の弟子である子貢さんに、「孔子様って、ガチで聖人なの?それにしては多芸多才すぎません?」と聞きました。

子貢さんは、「孔子様は、天から遣わされた聖人なのです!それと同時に、多芸多才でもあるのです。」と答えます。

孔子はこれを聞いて、「質問者さんはワシのことよくわかっとる。ワシは若い頃から苦労者だったもので、色々なつまらない仕事もしなければいけなかった。ゆえに些細なことから何までできるようになったのだ。
まありっぱな人格者だからって多能であるべきか、と言われると、そうでなくてもイイかもね!」


心につける薬のような言葉

仕事でどうしても辛いと感じたとき、「吾少(わかく)して賎(いや)し。故に鄙事(ひじ)に多能なり。」と、心の中で唱えるようにしている。

鄙事とは、細々とした事柄のこと。

今は苦労するかもしれない。けどそのお陰で、出来るようになることが増える。
今は点と点かもしれないが、結ばれて線になり、いつかきっと、役に立つ。
長い目で見て、今を生きよう。

孔子のその台詞を唱えると、こんな考えがストンと降りてきて、自分を励ましてくれるのだ。

あの福沢諭吉も好きなんだって。

福沢諭吉も自分のことを、「鄙事多能」と表現していたそうで、貧しい家庭で育ったが故に様々なことができたということを、誇りに思っていたそうだ。

鄙事に多能であろう

一面だけで人を判断するのは良くないが、私も様々な仕事でたくさんの人を見てきて思うことがある。鄙事にも多能な人…いや、そうある必要はない。だがしかし、鄙事を厭わない人の方が信頼できる。

そんな私も決して押し付けがましくせずに、明日からも自分のやるべきことを淡々とこなしていこう。

「吾少して賎し。故に鄙事に多能なり。」
いつかこれが板につく日が来るように。

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